食に関し非常に保守的なイタリア。
地元の料理が世界で一番美味しいと「確信」し「豪語」するイタリア人。
極論ではなく、自分のマンマ料理が世界一と公言します。(大方の男はマンモーネ(ちょっと日本でのニュアンスと違いますが俗に言われるマザコン。)
一般的に南に行けば行くほど(フィレンツェ以南)、この傾向は今だに強く感じます。ミラノは商業&ファッションの街ゆえに多少順応性が高いように感じます。
個人営業のパニーノ屋やジェラート屋は多々あったものの、大々的に会社規模で初めてできたファストフードが、ハンバーガーショップ「Burghy」。
ミラノの大手スーパーマーケット「GS」社が「Burghy」(ブルギー:ミラノ人達は英語読みしないんです。)を
“Più gusto di Burghy nessuno ti dà” (ブルギー以上の味は誰も君にくれない)
とイタリア的超強気なスローガンで1981年中心街に4店舗展開。
1969年フォンターナ広場爆破事件から暗く重たい約10年間Anni di piombo (鉛時代)が過ぎ、80年代に入りヤッピーなどの流行に乗り、この時期Burghyに集まってた10代をPaninaro(パニナーロ)と当時のファッション(テインバーランドのブーツにジーンズとボンバーやダウン)と共に大人達から(ちょっと小馬鹿に)呼ばれながらも本人達は大いに自慢してました。
この4店舗はPiazza San Babila, Galleria Vittorio Emanuele, Corso Vittorio Emanuele, Piazzale Loretoに位置し、
中でもドウオーモからスカラ座の間にあるあの美しいアーケード(ガレリア ヴィットリオ エマヌエーレ2世)の老舗高級レストラン「Savini」の目前にできた時の物議は。。。
その後北イタリアに96店舗展開した最盛期、ミラノ庶民のショッピングストリート=コルソブエノスアイレスの1.2kmの通りにはBurghyの通り反対にマックの店舗という現象が起こり、「ハンバーガー通り」のように。。。
それも1996年38店舗まで展開したマックに軍配が上がり、88店舗をマックに売却、最後の1店舗も2006年にクローズ。街中どこでもあったスーパーGS社も2010年にはフランスのCarrefourに吸収。(。。。グローバリズム)
さて本題(?!)
古代ローマ以前にストリートフードはもう始まっていた ?!
古代ギリシャ植民都市の多かったシチリア島のストリートフードは、Thermopolion(ポンペイ・エルコラーナ・オステイアアンテイーカの遺跡にも見る小さなカウンターにアンフォラを埋め保管し食べ物を出す屋台や)として成立しており、ファストフードとしてもテイクアウトとしても2000年以上前から庶民のお腹を満たしていた模様。
と同時にどこが美味しいとのグルメ談義も、プラトンのゴルギアス(対話篇)ではシチリアのグルメ家Mithecosや醸造家Sarambosや菓子職人Thearionについても記してます。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
参考資料
Burghy – La Storia(SmartWeekイタリア語)