エトルリア文化の全体像は未だ解明段階ですが、エトルリア語を使ってエトルリア文化を、地中海側のトスカーナ州からローマ以北のテベレ川までの地域からウンブリア州の内陸部の(後期はロンバルディア平原からカンパーニャ州まで拡大)高台に集落を作って広がってました。
よく知られる共和政ローマ以前の古代ローマの初期が王政期(紀元前753年から紀元前509年)で、初期4代の王の後3人の王はエトルリア人であったことからも、古代ローマの元がエトルリア文化とエトルリア人とも言われてます。
Veioの遺跡
ローマ北北西16kmVeio(ヴェーイオ)は紀元前11世紀から8世紀まで最盛期を迎え、398年ローマ軍に陥落後、衰退し廃墟化。(当時は彫刻で有名な街でローマの大半はここから)
Arco Etrusco
他にもペルージャの外国人大学から旧市街地入るアーチは、紀元前3世紀に作られたArco Etrusco (エトルリアのアーチ) 。「アーチはローマ建築の代表」
と長く言われてきましたが、巨石を使ったアーチづくりはそれ以前の『エトルリア時代の建築技術』だったんです。
(。。。歴史は勝者が書き変える一例ですね。)
エトルリア時代の食に関しては、改めて。。。
さて本題(実はこちらを書こうと思って始めたのが。。。「前略」できず)、
シチリア料理の起源は古くギリシャ時代の影響にさかのぼります。
紀元前735年にはアテネ南東の海に位置するキクラデス諸島のナクソスから、また紀元前734年にはコリント(コリンソス)のアルキアに征服され植民地になったシラクーサ(シチリア島東部にある都市:Sirako=低湿地帯から)へいろんな食材が持ち込まれました。
彼らが持ち込んだワイン醸造技術は特筆すべきで、オリーブ・ファロムギはシチリアでも栽培されてたものが新しい料理方法で進化した。ファロムギはパンに使われるだけだったのが、パスタやショートブレッドにも使われ、粗挽きしスープの具にも使われるように。
全粒ファロムギにそら豆・レンズ豆・ひよこ豆・に内臓を煮込んだFabata Puls (Puls = Polenta = ポレンタ)があります。
ローストやSchiacciata con farina d’orzo(フォッカッチャの一種で大麦から作った)などのギリシャ料理文化が既存の食生活に大きな変化をもたらした。またギリシャ人の大好物のリコッタも持ち込まれました。
この食文化の変化について紀元前5世紀から4世紀にかけEpicuro Siracusano/Miteco ed Archestrato di Gelaによって記された’Frammenti della gastronomia’で、シチリア島の食文化の高さの様子を知ることができます。
特に魚料理の種類の豊富さと料理方法について記され、’Leitmotiv’は現代のCucina Naturale(あまり手を加えず素材の味を大切にする料理)に繋がりオリーブオイルと塩とハーブに少量のビネガーで料理と記されてます。
高貴なグルメ達は、量も種類も豊富な料理にシチリアワイン・ビール・Idromele(蜂蜜酒)も大いに楽しんだとのこと。
中でもシラクーサ・クロトーネ・シーバリの街の食事は豪華さで有名だった。シーバリの住民はSibaritaと呼ばれ、
現在の「Sibarita = シバリータ = 道楽者」の語源になり、
良い意味で食や人生を楽しむ人を指す言葉として残ってます。
今日も最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。
1/4 シバリータ より
参考資料