昨年の古代ローマ時代の食の歴史の続きで今年は中世。
中世のイタリア料理はまだトマトもない時代の料理で、「お」フランス料理の源は。。。を先週ご紹介いたしました。
今日はその続きです。
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
例えば、1200年代終わりには、ナポリ王国初期に、俗ラテン語で手書きで記された著書不明のLiber de coquina (=料理の本↓)には、野菜・鶏肉・パスタ・魚の料理や材料について記してあります。
広報上手なフランス人に言わせると、1300年ごろ手書きされた「ヴィアンディエ」(Viandier)が料理の祖のように言いますが。。。
「ヴィアンディエ」(↓)を書いたとされるグイヨーム ティレル(Guillaume Tirel 1310〜1395年)は、タイユヴァン(Taillevent)と愛称され1325年ごろからフィリップ6世・シャルル5世・シャルル6世に仕えた宮廷料理人でした。
よってフランス料理の祖と崇められているようです。
スイスのシオンで見つかった手書きのこの資料は生前に書かれていることと、最初の部分がなかったことから著書としての真偽に問題がありそうです。。。 今に伝わる書物には130種類近くの料理名が書かれていますが、当時から数世紀に渡って加筆されたり印刷技術の向上と共にいろんなヴァージョンが見つかっています。
この時代に北部フランスではどのような料理を食していたのかを知る資料としては結構面白いですよ。
彼の功績は、フィリップ6世時代にフランス南部のワインをブルゴーニュに比するほどの高評価を得るために貢献したと言われています。
他にもこの時代の代表的な書物は1400年代に入ると、サヴォイ家アメデオ8世公爵に仕えたシェフChiquartの残したDu fait de cuisineや1400年代中盤にはローマのアクイエイアの総主教のローマの家で料理長のMartinoシェフが記したLibro de Arte Conquinariaが非常に興味深い資料です。
ラテン語や俗語化された古典フランス語や古典イタリア語で記されているレシピが読めるのはそれなりの教育を受けた階級以上の人々しか理解できなかったこの時代、遠方からの特別な食材を購入する経済力は多くの人にはなかった。
一般的に庶民は書き残す教養がなかったため、多くはその時にある食材で料理を作る方法を母から子へ口頭で伝えて、ファミリーみんなのお腹を満たしていたようです。
今の時代の飽食日本でよかったですね(^^;)
今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。
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