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みんなのおかげで !!! 。。。食文化専門に30数年間イタリア在住したEnogastronomoが書いてます。お役に立てれば。

イタリア食の歴史 古代ローマ じゃなくなちゃけど。。。番外編 イタリア料理レシピ本の続き 11-3

古代ローマ 11」から「古代ローマ11-2」で、イタリア料理レシピ本を中心に古代ローマだけでない展開になっており。。。そのまま続けようかと。。。

 

今日もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

   

 

ルネッサンス期になるとPlàtina(1421-1481年:Brtolomeo Sacchi:Cremona近郊のPiadena出身でラテン語ではPlatinaに当り、あだ名がついた。人文学者で食通。1453年Ludovico III Gonzaga(1412-1478年 ルドヴィーコ3世・ゴンザーガ(マントヴァ侯)) の子供達の家庭教師として雇われた。ウエルギリウス(Virgilioラテン文学黄金期の詩人。牧歌・農耕詩・アイネーイスで知られる)を研究。シクストウス4世(ローマ教皇)によって1478年バチカン図書館の館長となる。)が、レシピと衛生についてDe honesta voluptate et valetudine(初版1474年)を著した。

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 薬学と栄養学を学んだ学校の古い格言Si deve mangiere per vivere e non vivere per mangiere.(生きるために食べなければならないし食べるために生きるのではない。)を重んじた。 

そんな中で、上流階級のご主人様達の過度な要求に応えなければならないのが当時のコック達で、優雅な素晴らしいデコレーションも要求された。時には演出効果を一層引き上げるために金や銀で覆われた魚料理も。。。

 

   

 

16世紀になると、料理は一種の文化として変容し始める。

 

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François Rabelais(1483-1553年:フランソワ・ラブレー ルネッサンス期の人文主義者(ユマニスト)で作家で医師。ヒポクラテスの医書を研究。フランス語を用い「ガルガンチュワとパンタグリュエル」で知られる。教会や大学など規制の権威を風刺した内容で禁書とされた。)はPantagruel(1532年出版)を書して鯨の肉とラードの料理を紹介。

1571年パリ大司教がElisabeth d’Austriche(1554-1592年 フランス王シャルル9世王妃。ドイツ名はエリザベート・フォン・エスターライヒ。)にご馳走した。

 

この時代のレシピ研究者たちには料理だけでなくテーブルマナーやエチケットについて要望され、Giovanni della Casa(*)はGalateo overo de’ costumeを出版。1500年代の上流社会の基本として大好評となり、1600年代には「紳士の条件」となった。

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 Giovanni della Casa(*)

1503-1556年 文学者・作家でカトリック大司教)がテーブルマナーと正しい作法のマニュアル本Galateo overo de’ costume(1551年執筆1558年出版 法王パオロ3世の時代にヴァチカンからヴェネツィアに赴任した経験豊富な「老人」と著者の甥Annibaleとの対話形式で30項目記された。

 

まだまだ続きます。

 

今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。

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