迷路に迷い込み前回までレシピ本について、ツラツラと「古代ローマ 11」「古代ローマ11-2」「古代ローマ11-3」「古代ローマ11—4」を、ご紹介いたしました。
今日からは古代ローマに舞い戻って、キッチンの様子から食材についてです。
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
古代ローマ初期は、ドムス(domus家屋)はアトリウム(Atrium中庭)の回りに家の各部屋が構成され、炉のある料理部屋や家族の守護神ラーリ(Lari)を祀る場所は入り口に位置し、この場所で家族は大方の時間を過ごした。
入り口の敷居と中庭の間で結婚し、守護神の前で新生児を祝い、葬式の祭壇を組んだ。その後現代ローマで見かけるような建造物になると料理部屋は、従者の居住域へ移った。
←Paiolo
守護神像をメインエントランスの扉の裏側に祀られ続けることもあった。通常かまどは一つで、グリルか大鍋(Paiolo パイオーロ)で料理していた。貴族のお屋敷の場合、20cmぐらい底上げした大きな部屋に多くの台所用品や食器類も保管した。炭火でグリルができる箇所と数個の土鍋(Pignatta ピニャッタ)が掛けられる箇所があり、作業台や洗い場もあった。排水は床に溝がありそのまま市道か下水道へ流れていった。熱湯は常に必要だったため、キッチンの横で沸かして鉛菅を通ってキッチンに送られた。
パンやタルトを焼く窯も持っていた。肉はグリル板(Graticola グラティーコラ)で焼いたり、茹でたりした。食材は市場しチーズや肉は専門店で購入した。
野菜は近隣地域から市場に届き、食用のみならず薬用のスパイス種やハーブ類はアフリカ・ギリシャ・アラブ圏から持ち込まれた。
ローマには、公の食堂や屋台(Taberne タベルナ)ではワインを割るためのお湯を常に沸かす釜があった。
レストランの中でもちょっと小洒落たところは、貸切で食事ができるようにしていた。
その例としてポンペイにあるCasa Sallustio-porta Ercolano(写真左) やCasa di Giulia Felice-porta Sarno(写真右)など。
ポンペイやエルコラーノの遺跡で観られる家屋の調理場では、薪がくべられたが、ローマでは炭を使った。食材の多くは現代と変わらず牛肉・豚肉・鳥肉・ジビエ・魚など。
現代は素材を大切にして新鮮な味を楽しむ料理方法がイタリア的かもしれませんが、当時は食べる者が驚くような工夫やカモフラージュを凝らし提供することを好み、魚を野菜で煮てウサギのレバーと共に合わしたり、蜂蜜や生姜を使ったり。。。色使いも様々な食物を使って顧客を楽しませるためにいろんな趣向を凝らしたようです。またメインデイッシュだけでなく付け合わせも飾り付けを施し。
・・・最近
本来の形と目と口と脳みそが繋がらない斬新グルメ料理に結構ありますよね。
今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。
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