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イタリア食の歴史 古代ローマ 2

古代ローマ 1」では、1日昼食と夕食の2回で暴飲暴食風景が映画で様子を復元されたことをご紹介いたしました。

 

今日はその続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

   

変わったものを食べるのも当時のグルメ達の楽しみ。。。

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プリニウス(Plinio: 百科全書「博物誌」著者で政治家・軍人)は饗宴のメニューを、「来客の一人一人に、レタス・カタツムリ3つ・卵2つ・蜂蜜ワインとオリーブとビーツとカボチャと玉ねぎの入った大麦タルトに幾多の素晴らしい料理」とか、友人に送った寛大にもてなす旨の「牡蠣・猪の外陰部・魚介類の料理にカデイス(スペイン)の踊り子の宴」とか、珍味と共に盛大な饗宴風景を想像できる招待状を送っていた。

 

豪華な供宴を禁止する法律(Sumptuarie)も交付され(。。。あまり監視されていなかった様子)、饗宴の経費(食材から銀食器などの備品の総額)の上限が決められた。

しかしお金持ちが一層華やかに宴を成功させるためには、特別な高価な食材だけでなく、高額で高名なコックを呼ぶこともあった。(古今東西いつの時代も、お金持ちの習性は同じ?)。

 

古代ローマの料理も古代ギリシャと同じように地中海北側に位置するため、オリーブ・ブドウ・野菜・果物など収穫できる食材は似ている。

古代ギリシャの料理は芸術性が高く、医療的な観点からも研究され、19世紀まで続いた西洋医学に大きな影響を与えた「医学の父」ヒポクラテスのPeri diaites(ダイエットについて)で健康的な食事法について説いている。(他にも「アルスロンガ ヴィータブレヴィスト」:術の道は長く、人生は短い。とも)   

 古代ギリシャのレシピ本は紀元前4世紀中盤のArchestrato di Gela(シチリア島に住んだ古代ギリシャ詩人)のHedypàtheia(Vivere nel piacere:悦んで生きる)に抒情詩を真似て解説的な詩を記したが、断片的にしか残らず。

 

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2世紀ごろの散文作家Atneo(アテナイオス)のDeipnosofistaì(I dotti a banchetto : 食卓の賢人たち)のお陰で、様子をうかがい知ることができる。またMatrone di Pitane(紀元前4世紀=アレキサンダー大王(紀元前336—紀元前323年)と後継者のデイアドコイの時代)のConvito attico(=Banchetto attico)もある。

 

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ラテン語で書かれた重要な書物としては、ApicioのDe re conquinaria(アピシウス)が挙げられる。

 

今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。