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イタリア食の歴史 古代ローマ 5

古代ローマ 4」では、食習慣が1日2回から3回になった流れや食事風景のさわりをご紹介いたしました。今日はその続き。

 

お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

   

上流階級の奥様(Matrona)はご主人の隣に子供と一緒に座り、部下や奴隷は食堂近くの長椅子に席を取った。別荘では、奴隷もご主人たちと共にテーブルに着くことを許された。

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家が広く部屋がいくつも隣接されている場合、キッチンは奴隷ゾーンに配置された。

f:id:grazieatutti:20180718165705j:plain←Tabinium

昼食はTablinium(中庭に面した部屋)か建物2階のTabliniumの真上に作られたCenaculumで食事をとった。帝政(紀元前27年〜)時には、Tricliniumで食事をとり、Cenaculumの意味も変わり、屋根裏や貧しい人が住む建物上層階を指した。

 当時は医師のアドバイスで朝食は摂らず、目が覚めたら胃の解毒作用と水分補給に水を一杯飲んだ。Galeno(129-201年:ルネッサンスまで影響力のあったペルガモン(トルコ)出身で、臨床医の経験と多くの解剖で体系的な医学を確立したローマ帝国時代の名医)は、患者に朝9時ごろに軽い朝食を摂るように、軍人には12時ごろ質素な食事を食べるように奨めていた。

Mariale(41-104年 Marco Valerio Marziale : ラテン語の風刺詩人15巻)は朝食はパンとチーズ(オリーブ・牛乳・蜂蜜も。前夜饗宴の残り物の時もあったらしい)、昼食は冷たい肉と野菜か果物とワインと伝えている。

「博物誌」の大プリニウスは、朝食はシンプルな軽食で昼食は、質素な食事を立食することが多かった。このように朝食や昼食はテーブルセッテイングせずに素早く控えめな食事を摂り最後に手を洗う習慣だった。

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 メインとなる食事はCenaで15時頃始まり、時には夜明けに終わることもあった。まず手と足を洗って、静かで特別な部屋Triclinium(=Tricliniaトリクリニウム=ダイニングルーム:低いテーブルの3方を3つのLecti triclinares(長寝椅子)で囲む。体の左側が下になるように寝て、食事や会話を楽しむように寝椅子はコの字に組まれた。通常大小2つのTriclinimuがあり、ワインと食事と愛がテーマとなること室内装飾が施されることが多く、小さい方は少人数をもてなす場合(3長椅子を1セットとして3セット9人まで)、大きい方は大人数のパーテイ用(12セット36名)で使われた。

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Triclinium以外にも、円卓のmensaもあり、夏には庭の景色の一番良いところに建てたStibadium(景色に向かって半円型ベンチが付いた東家)で食事をとった。

   

祝祭日には奴隷も参加することが許され、寝椅子の足元に座った。ご主人と奥様の横で家主の子供達は小さなベンチに座った(X型折畳み椅子とも)。

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                            ↑ Ligula                                               ↑  Cochlear

食事を取るときは、指先とLigula(大きめのスプーン)とCochlear(柄がとても細く小さいスプーンも使い方はフォークの用に貝やカタツムリを突き刺した)の2種類のスプーンを使った。骨や貝殻などは床に捨てた(奴隷が後で処理)。

 

各皿の後に指を洗い、Mappae(ナプキン)で口を拭った。

客人はMappaeを持参し、食事の残りやApophreta(お土産)を持って帰ることもあった。テーブルを真ん中にして、寝ながら食べ物を取ることはかなり苦痛で、小カト(*)は、ファルサルスの戦い(紀元前48年8月9日:カエサル軍vs元老院派グナエウス・ポンペイウスの内戦でカエサル軍勝利。)前の祝宴で、カエサルに勝つまで座って食事をすることを誓った。

 

寝そべりながら食べる。。。牛になるとは考えなかったんですね。。。

 

小カト(*)

紀元前95—紀元前46年Marco Porclo Catone Ulicense 元老院派の中心人物。ウテイカに逃げた晩年までカエサルには従わず、プラトンの「Phaidon(ファイドン)」を読んで霊魂とイデアの不滅を言い聞かせて自害。2年後の紀元前44年カエサルを暗殺したブルータスは甥(異父姉セルヴィリアの息子)。

 

今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。

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