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イタリア食の歴史 古代ローマ 7

古代ローマ 6」では、食事をするのに着替えたり、食べやすいとは思えない着席(?)風景をご紹介いたしました。今日はその続き。

 

お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

   

紀元1世紀になるとテーブルには、Mantéla(テーブルクロス)がかけられるようになり、其々にMappa(ナプキン)が出されるようになった。(自宅から自分用のナプキンを持参したケースも見うけられる。)

f:id:grazieatutti:20180802105551p:plain ←Patina

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                     ↑  Ligula                                         ↑ Cochlear

食事風景は左側を下に寝そべりながら、右手を伸ばしPatina(大皿)から、奴隷が事前に適度な大きさに切り分けてあるので、大方の場合指先を使って(時には2種類のスプーンLigula(大きめのスプーン)とCochlear(柄がとても細く小さいスプーンも使い方はフォークの用に貝やカタツムリを突き刺した))料理を取った。貧しい家の食器類は陶器や木器で、裕福な家の食器類はAgrentium escarium(肉料理用の皿)やPotorium(カップ)は銀製品が多く、飲み物は金や銀や琥珀やムラ石(蛍石:特にワインの香りを引き立つと言われた)製のPocula(コップ)だった。お皿やコップは彫刻や装飾された。

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コップの種類もCalices(聖杯型:ゴブレット)Cymbium(貝型?)Scaphium(舟型)Rhytion(ツノ型)と豊富だった。

   

 

Primae Mensae(メインの食事)の終わりに、食堂へLariが祀られた小さな木版が持ち込まれ、感謝の言と共に純粋なワインを奉献した。

そして、Secundae mensae(Commissatio:デザートとショー)が始まる。会食者達に花輪がかけられ、喉が乾くようなスパイスの効いたツマミを頬張り、主賓を歓待する乾杯の準備し、Triclinarca(ホールマネージャー)によって水で薄めたワインをカップになみなみと注ぎ、乾杯と同時に一気に飲み干した。その後各種の娯楽や歌・喜劇・風刺喜劇・悲劇・曲芸など各種のショーが始まった。

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Plinio(61-113年Gaio Plinio Cecilio Secondo:小プリニウス。大プリニウスの甥で養子。)の書簡には、Centocelle(現在のチビタベッキア)のトライアヌス帝(↑)の別荘のSecundae mensaeは、素晴らしい音楽と朗読が催され上品な会話とともに節度のある高尚であった。と記している(VI,31,13/V,2,1/VII,21-4/III,12,1/I,15)。

品のない集まりとしては、以前にも紹介したPetronioのSatyriconで、成金Trimalchioneの品性のないScundae mensaeの様子を知ることができる。また後者のような好ましくない集まりも多かった様子はポンペイ遺跡のTriclinium(3方に配置された寝そべるベット)の落書きでも知ることができる。

例えば、

Lascivos vultus et blandos aufert occelos

Coniuge ab alterius ; sit tibi in ore pudor.

他人の妻に物憂げな視線で観る淫らな態度を止めろ; 言葉を自制しろ。

 

Utere blandiis odiosque iunga differ

si potes, aut gressus ad tua tecta refer.

「感じの良い言葉を使え、憎しみのある言い争いをやめろ、さもなければ、家に帰れ。」

とある。

多くの場合、賭博や陰謀を画策したりGades(フラメンコの元祖)のダンサーと不倫を企てる場にもなった。

 

今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。

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