昨年は古代ローマ時代の食の歴史について色々を書きました。
書き手メモリーが脆弱で、忘れていることは多々あると思います。「そのうち」バージョンアップしたいと思います。。。脆弱ゆえそれさえ覚えていられるか(^^;)
今年はちょっと現代に近づいて「中世」へ進みたいと思います。
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
日本語では多分「中世」と一括りに呼んでますよね。
イタリアで「メディオエーヴォ」(Medioevo : 中世)は、ローマ帝国崩壊の476年から黒死病が終息する14世紀中盤までの期間を指してるようです。
黒死病(ペスト)という名前と原因究明は19世紀になってからのようで、当時はグランデ モリア(Grande moria : (伝染病による)大量死)としか。
当時はヨーロッパ各地で人口が30—60%激減し、全体で人口4500万人が3500—3750万人に減ったと云われています。
14世紀中盤〜16世紀終盤のルネッサンス期と対比するために、15世紀に初め以前のクラッシックな文化と区分けする言葉として登場し、今では研究者によって2〜3段階に分けて呼んでるようです。
まずは、5世紀から10世紀までを「アルト メディオエーヴォ」(Alto Medioevo :または暗黒時代Secoli bui)と呼び、スラブ人・アラブ人・ノルマン人・マジャール人たちに侵略された時代。
その後各地で繁栄するファミリーが権力を持ち自治を整えた「バッソ メディオエーヴォ」(Basso Medioevo)と分けています。
最近これに「メーディオ メディオエーヴォ」(Medio Medioevo :中世の中盤)と11世紀から12世紀を分ける方々もいらっしゃいます。
現代のイタリアで明確に近年の時代分けを定義するのが難しいようです。
例えば「トラディツィオーネ」(Tradizione = トラディショナル)と表現される場合は最低でも約25年経過している場合を目星にしているようです。
多分未来のどの時代か今生きてる時代も違う呼ばれ方をされちゃうかもしれませんよね。
。。。ただよく観察してみると後世の人々は、自分の生きている時代が一番よく表現したくて先代をあまりよく云わないケースも多いようです。(もちろん反対のケースもよく見かけますよね。「・・・昔は良かった。」)
てなわけで、毎週金曜日は「メディオエーヴォ」の食に関してご紹介していきたいと思います。
今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。
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