昨年の古代ローマ時代の食の歴史の続きで今年は中世。
中世のイタリア料理について非常に興味深いレシピ本について先週ご紹介いたしました。
今日もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
アラブに侵略された暗黒時代から抜け出した後も、1315年には気候変動(春から夏にかけての豪雨と冷夏)によってヨーロッパ全土が「大飢饉」に見舞われ、穀物類の不作高騰で宗教家や貴族階級以外の庶民は日々の食材探しが大変。
野生の食用可能な根・草や森で食べれるナッツやキノコ類で飢えしのぐことに、1316年になっても晩春まで雨続きで飢え死にする人々も。また種も食料にしたことから1325年ごろまで食糧需給率は低かったようです。この時代の方々のおかげで食用可能なキノコや葉野菜が分かったとも言われています。
上流社会は別として、日々の食生活が貧しかった庶民にもキリスト教が生活に浸透していた時代のクリスマス・カーニバル・イースター・街の守護聖人の「祭事」に食べられる「料理」がどれほど待ち遠しいイベントだったことは想像できますよね。
「祭事」に上流社会では、主に仔牛・子羊・子ヤギや去勢鶏などの若くて柔らかい肉を珍重しジビエ料理も盛んで、卵やチーズや小麦粉を使った料理が次々と出されました。
「祭事」ごとに食べる料理は、
クリスマスには「ラザーニャ」
カーニバルには「ファロ麦」
キリストの昇天日には「卵とチーズ」
パスクワ(イースター)には子羊
万聖節(11月1日)にはガチョウ
と13世紀のウンブリア州詩人シモーネ デ プロデンツァーニ(Simone de’ Prodenzani)がソネット(十四行詩)のイル サポレット(Il Saporetto)の中で記し、いかに宗教祭事が食事に影響を及ぼしていたかがよくわかります。
キリスト教が食習慣に浸透している様子は現代でも「金曜日は魚」と決めてる信者が多いことからもその習慣は残ってますが、当時はもっと宗教観が強かっため、1年を通して肉食を断つ時期・魚を食べる日などなどの風習が厳格に守られました。
ただ聖職者や聖職者と共に会食するような貴族豪族の話。
地方の司祭はソラマメやひよこ豆が大方の主食で、稀に上手く手に入れられれば「うなぎ」もテーブルに出て来ることも。現代のように内陸部で新鮮な魚を手に入れることは非常に難しく、日干ししたニシンなどを四旬節の折には主に食べていたようです。
大飢饉時にいろんな食べられるものを探していた人々に比べれば、世界中の美味しいものが選り取りの現代の日本。。。 ありがたやありがたや
今日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。
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