本話題、多くの皆さまにご興味をいただきまことにありがとうございます。
『「難民問題」より以前からある問題「外人」について「外人」が紹介 その1』と『ミラノの現状と私見おせっかい』に、
ご質問を頂戴いたしましたので 続き です。
本題の難民問題はこちらをご覧下さい。
「イタリアとフランス間で大事件勃発」「将来来たる難民問題の予習」
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
いつも地震の情報を詳しくご紹介して下さるid:yoshihide-sugiura様から
イタリアでは難民を受け入れるのは限界だ、という議論になっているでしょうか?
それとも、これも時の流れ・神のご意思、として受け入れるトレンドなのでしょうか?
その辺りが今ひとつ(イタリア国民の危機感)が分りません。
と頂戴いたしました。
限界。。。
前記した様に、エジプト系難民が80年代に入ってきた後、イタリアマスコミが命名した『エクストラコムニターリ』に対し毎年ビザ発給数の上限を設けてた時点で、議論され拒絶反応と限界の認識が充分あったと思います。
その後も主な出港国だったリビアで「ガダフィ大佐」(ムアンマル・アル・カッザーフィー。イタリア語ではゲッダーフィと呼んでました)が健在だった80年代後半から嫌がらせ的にイタリアに難民を送り込んでいました。(どっかで似たような話聞きませんか?)
そしてリビア内戦時から2011年「大佐」殺害後あたりから無尽蔵に流出。この時点でもう「限界」議論以上の制御不能に陥りEUに泣きつき、現在の状況かと。。。
2017年上半期だけで、漂着難民は6.5万人(前年比プラス約18%)に、親が同伴しない子供達だけの難民が8312人も(?!)が南部イタリアに到着、難民キャンプに収容可能人数を遥かに超え、国営放送の番組調査で83%のイタリア人が「重大かつ緊急問題」として認識。もはや手遅れ状態になってから無関心を装う無能政治家たちさえ慌て騒ぐ状況に。。。
時の流れ。。。
多分逃げ言葉として無能政治家が使うことはあるかもしれませんが。。。
神のご意志。。。
法王も「難民に手を差し伸べるように」とコメントは頻繁に出されていらっしゃいます。。。
教会はと言うと、日曜日のミサでお金は寄付してもらうのに熱心な姿は拝見しても、この件で供出する様子を見かける機会には残念ながらまだ出会っておらず、その様子をまた聞きするにも至っておりません。結構地獄耳のはずなんですが(^^)
イタリア国民の危機感。。。
中世以前より我が村・町・市が世界中で一番良い場所と信じてやまない小国家の住民が、王国時代は経たものの正式にイタリア共和国の「(共和)国民」になったのは1948年。
あのムッソリーニ首相(↑)でさえ、(↑最近顔つきが似てると評判のお二人↑)
“ Governare gli italiani non è impossibile, è inutile. ”
ゴヴェルナーレ リタリアーニ ノンネ インポッシービレ、エ イヌーティレ。
イタリア人を統治するのは不可能ではなく、無駄だ。
と言わしめるほど、一方向に団結して向かう協調性・団結力や我慢力がなくバラバラです。(諦めの速さは天下一品! 第2次大戦の時の様に。一番最初にトンヅラ)
唯一、国を背負って優勝可能性のある競技観戦(最近下火のサッカーやバレーや水球など)時の団結応援や情熱は物凄いのですが。。。
傾向として、
日本人の国民性はある程度一色の濃淡で国民性を表現可能かもしれませんし「組織」の様にある程度統一性が高いと感じます(スパイ化された職業市民は組織化されてますが色が違うような)が、イタリアは各々が自分の色を持ちカラフルも、バランスを取ったり近い色同士が纏まるよりも自分の色が一番良いと思ってるので厄介。
難民問題は、長年余りにも愚策で鈍重な政策問題ではないでしょうか、一癖ある正直なイタリア人からは「自国の山積み問題(失業率・金融・経済・南部問題・組織犯罪・文化遺産維持など)が解決できないのに、難民の心配や税金を投入する理由がわからん。」と辟易x激怒。
グローバル化できた企業は本社を他国に移したり、経済力や学力ある人は国内に残らず、チャレンジできたり、より自由な北米・欧州他国への移住が後を絶ちません。
ただ。。。
今の「難民問題」の最初のタネを蒔いたのは、実は80年代のイタリア政府なんです。
内緒ですけど。。。
・・・まだ続くのかなあ〜 (フンギ。。。フンギ。。。)
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。
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