「ナポリの年越し」〜「ピザ屋襲撃事件」〜「ナポリピッツァ」〜「マルゲリータの歴史」とご紹介してきました。
そこで今日は
いつからピッツァってあったの ?
その頃のピッツァって今と同じ ?
お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
イタリア人は常に情熱的と言われてますが、まあ調べ物についてもの相当の変人ぶりを見せてくれます。
「ピッツァ マルゲリータ」は「王妃のピッツァ」と言われる反面、マルゲリータ王妃に献上する前からあの3色の組み合わせのピッツァはあったとする研究家がいることは、「ナポリピッツァ」でご紹介しました。
その頃には、半分に折ることで微笑んでいるようにも見える「カルツォーネ」(Calzone)もあったことがわかっています。当時のカルツォーネはフレッシュなトマトをカットしてニンニクオイルに塩胡椒とオレガノを入れて煮込んだソースが具材として入っていたようです。
さてピッツァとは呼ばれていなかったようですがオリジナルは、古代ローマにさかのぼるようです。
ヴィルジッリオ(Virgilio : =ウェルギリウスVergilius)のアエネーイス(古代ローマの叙事詩全12巻)には、あまりの空腹で「食材を盛ったファロ麦の薄いお皿まで食べた。」とあります。この時にはまだトマトはアメリカから来ていませんので今日本で流行し始めた。。。 「フォッカッチャ」(複数形になってFocacceと記載されてます。)であろうと言われています。
ピッツァ(Pizza)という言葉が、書面に残っているのはガエタ市大聖堂に残っている資料から、997年現在のラーツィオ州(州都ローマ)とカンパーニャ州(州都ナポリ)の境界線となるガリリアーノ川(Gariglliano)に敷設された水車付きの粉挽き場から賃貸料と12枚のピッツァがクリスマスとイースターに献上された。とのこと。
1570年法王ピオ5世のお抱えコック「バルトロメオ スカッピ」の残したレシピ本「オペラ」によると当時の「ピッツァ」は「アーモンド・松の実・ナツメヤシの実・イチジクの実・干しぶどうを細かくしてローズウオーターと混ぜ、卵黄と砂糖・シナモン・ブドウ糖と共によく練った生地を焼いたもの」と記されています。
この当時の甘いデザートの「ピッツァ」は現在ヴェネト州やフリウリ州で残っており、「ピンツァ」(Pinza)と呼ばれるものと言われています。
・・・不思議ですよね〜
一体どこで誰が「お? どうよこれ? ピッツァと呼んじゃったらさ?!」と思ったんでしょうかね。(ナポリ人のすることは・・・)
500年後には「寿司」は違うものになってるかもしれませんね ?
「頭にコオロギの住んでる」イタリア人(?某隣国人??)のおかげで(^^;)
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。
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