先日の「ナポリピッツァ」後、2つのご質問を頂き半分の「イタリア国旗」の原型について記したところ、ご質問下さった地震専門家の「ナマズ<ワニ」さま改め「ホオジロザメ」さま(ご自称はsugiura-yoshihideさま・・・もしかするとモスカ ビアンカさま?)よりイエローカードをチラつかせつつ『「サヴォイア家」とメディチ家との壮大なロマンスを調べよっ!』と\(@o@)/
今日もお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
お答えしましょう。
「そんな都合の良い壮大なロマンスはありませんでした」マル! \(^o^)/
(あっ?! レッドカードつまみ出そうと・・・ (^^;) )
サヴォイア家自体は、イタリア統一運動時に活躍し、現在の共和国の前身となる「イタリア王国」(1861〜1946年)として支配し、現在も末裔がマスコミに話題を提供してくださる本物のイタリアンセレブ。
生番組の対談で最後の国王の長男がご夫婦で登場。イタリア国民に対し上から目線の不躾な発言をするご主人に隣席の大きなサングラスをかけた奥様から叱責を受け口論を生でなさった非常に話題性の飛んだファミリーでも。
呼び方もサヴォイア家(Casa Savoia:イタリア語) サヴォワ家(Maison de Savoie : フランス語)サヴォイ家(House of Savoy : 英語)と言語によって色々。
歴史を遡ると中世のブルグンド王国(現在のフランス東部リオン周辺からやスイス西部のジュネーブ一体を支配下にしていた当時のブルゴーニュと呼ばれていた一体)の10世紀ごろには伯爵家として端を発した様子。
12〜13世紀ごろには↑斜線地域一帯をシャンベリ(Chambéry)を都にし伯爵領として支配(今でもこのあたりはサヴォワ県と呼ばれる地域・・・ウインタースキーがお好きな方はアルベールビルやモンブランなども周辺に)、1416年には公爵家に。
(いろんな真ん中のストーリーをすっ飛ばして)1700年代に入るとアラゴン王家(スペイン)後オーストリア王家の統治下にあったサルデーニャ島の国王にも。。。(サヴォイア公国はトリノに首都を置いて君臨していたものの、当時地中海の中心的存在で歴代の強国が支配した「名の通った」サルデーニャ国王を重要視したようです(^^) ミーハー的感覚は・・・)そしてイタリア国王へ。
1889年6月イタリア国王ウンベルト1世とマルゲリータ王妃がナポリ王宮に滞在。
1780年からピッツァ屋をしてた現ブランディ(Brandi)当時は「ピエトロ・・・エバスタコジ」(Pietro…e Basta Così =ピエトロ・・・と ってだけのことさ)という不思議な名前のお店のピザ職人ラファエッレ エスポージト氏に王宮から問い合わせが。。。(王宮から出前要請?!)
献上した3種類のピッツァを「マルゲリータ王妃が非常に美味しいとお喜びになられた」と王宮執事カミッロ ガッリから1889年6月11日付のお礼の手紙を受け取り、その後もマルゲリータ王妃がナポリ王宮に滞在される度に御所望。この時のピッツァがイタリア国旗カラーを用いたことを絡めて「ピッツァ マルゲリータ」は「王妃のピッツァ」と呼び、王家御用達ピッツァ職人(ピッツァ店)として現在もご自慢のピッツァとお店話に。
こんな感じでした。。。
残念ながら フィレンツエのメディチ家との接点は・・・(現調査段階では)
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。
↓↓↓ もしよかったこちらも覗いてみて下さい ↓↓↓